法政大学大原社会問題研究所 オイサー・オルグ  OISR.ORG 総合案内

文字の大きさ

  • 標準
  • 拡大

背景色を変える

  • 白
  • 黒
  • 青
ホーム   >   研究所案内   >   当研究所の所蔵資料   >   所蔵図書・資料の紹介   >   V 戦前の原資料 3.その他の原資料

V 戦前の原資料 3.その他の原資料

(3) 1848年ドイツ革命期の壁新聞

 1848年2月フランスに「二月革命」がおこり,王政がたおされた。この事件はただちにドイツ,オーストリアに波及し,「三月革命」の勃発となる。この革命で検閲が廃止され言論の自由を獲得した民衆は,当時普及しつつあった印刷技術の助けをかりて大規模にビラを発行した。

 ドイツにおけるビラの歴史は古く,発行年のしるされた最初のビラは1488年で,活字印刷技術の発明後まもない頃である。ドイツ語ではFlugblattといわれ,パンフレットとともに労働運動・政治運動で大きな役割を果した。当時の民衆には自分たちの意志を伝えるにはこうした宣伝手段しかなく,識字率があがってきたこともビラが有力な宣伝手段となる背景にあった。当時のドイツの成人の識字率は大体50%くらいであったといわれている。ビラは日本でもよくあるようなもののほかに,ドイツではMaueranschlag(壁新聞)というものがあり,新聞ぐらいの大きさである。

 大原社研には100種l30枚の壁新聞があり,出版地が確認されるものはほとんどベルリンのものである。ウィーンにおける「三月革命」をえがいた増谷英樹著『ビラの中の革命』(新しい世界史3,1987年)によればオーストリア国立図書館のビラ・コレクションは数万枚に及ぶそうである。ドイツにおける状況はよくわからないが,Flugblatter der Revolution の著者Karl Obermann によれば,やはりドイツの国立文書館やRatsbibliothekには膨大なビラのコレクションが所蔵されているようである。ベルリンの医師フリートレンダーのビラのコレクションは1945年に焼失したが,カタログには1,300点のビラが記載されていた。もちろんこうした現地の図書館の大規模なコレクションには比すべくもないが,歴史の臨場感を味わうという意味では大きな意義をもっている。

 大原社研所蔵のビラについては研究所創立60周年の展示会に出品したことがあり,当時その展示をめぐって行われた座談会で良知力氏がふれている(『週刊読書人』1979年11月12日号,『研究資料月報』第262号,1980年1月にも再録)。その内容は警察の告示,革命への呼びかけ,ニュースなど様々で,絵入りのものも多い。日付は不明のものが多い。はっきりしているので一番早いのは48年3月1日付でロンドンで出されたもので,フランス人民への挨拶となっている。これにつづくのが3月18日のベルリン市民の蜂起直後の23日付の警察の告示である。革命の敗北濃厚な9月,10月頃には悲壮な感じで民衆によびかけるものが出されている。

 ベルリン発行のものだけに,この地の方言で書かれたものが多くちょっと読みにくい。たとえばWat is Constution ? とかAch Jote doch ! Nu ist et leider dochlosjejangen !といった調子である。

 筆者についてはジャーナリストや学生などが多かったらしい。大原のものにもジャーナリストのフリードリッヒ・ヘルトや文芸評論家のアウグスト・ブッドルマイヤー執筆のものがある。

(是枝 洋)

『大原社会問題研究所雑誌』No.494・495(2000年1・2月)、創立80周年記念号より

更新日:2014年12月22日

ページトップへ