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塩路自動車労連会長辞意[労]1986.2.12

塩路自動車労連会長辞意[労]1986.2.12

   塩路一郎自動車労連(日産労連)会長は,同盟・JC・全民労協・国際自由労連などの要職を兼ね,労働界に大きな勢力を有していた.また,日産社内では組合の同意がなければ人事や経営方針も決められないほどの影響力を行使し,〈塩路天皇〉と呼ばれていた.しかし,77年に川又克二社長が石原俊社長に代わってから,会社との関係はしだいに悪化した.とくに工場の海外進出問題で決定的に会社と対立し,組合の基盤であった現場職制層を切り崩され,支持を失った.このため86年1月同盟副会長を辞任したのに次ぎ,この日の労連中央委で労連会長も辞任した.本人は,組合に留まり労戦再編に専念する意向だったというが,全日産労組で不信任が決議され,女性スキャンダルも暴露され,一切の役職を辞任した.〔参〕上井喜彦《労働組合の職場規制》1994.⇒1986[労]9.3.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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