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メーデー事件[労]1952.5.1

メーデー事件[労]1952.5.1

   第23回メーデーに政府は皇居外苑広場(人民広場)の使用を禁止し,2年前アメリカ占領軍がとった方針を,サンフランシスコ体制発足後も踏襲した.これに抗議して人民広場に入った数万のデモ隊に対し数千の警官隊が襲いかかり,警棒を乱打し,催涙ガス弾,挙銃を発射した.デモ隊に2人の死者と千数百人の負傷者が出た.警視庁と東京地検は騒擾罪の適用を決定し,負傷を目印に検挙を始めた.7月末までの逮捕者総数1232人,騒擾罪などで起訴された者261人にのぼる.また,破壊活動防止法の国会通過を促す理由とされた.1972年,東京高裁が騒擾罪は成立せずとして多くの被告は無罪となったが,この間,20年間,被告の多くは社会的差別を受けていた.〔参〕メーデー事件裁判闘争史編集委員会編《メーデー事件裁判闘争史》1982.⇒1972[政]11.21.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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