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工代会議運動[労]1927.4.下

工代会議運動[労]1927.4.下

   金融恐慌下,労働者の解雇・賃金不払い・失業などが広がったが,評議会は同年5月の第3回大会で工代会議運動の方針を決めた.工代会議とは,組合員が各工場で工場委員会を組織するとともに,各工場代表者による工場代表者会議を組織して,資本攻勢に下からの統一戦線で対抗しようとする戦術であった.以後,全国的に工代会議運動の展開をみたが,めざましい成功をおさめた例は,北海道地方評議会と小樽合同労組が指導した’27年6月の小樽港湾労働者7千人のゼネストである.〔参〕伊藤晃〈工場代表者会議運動と日本労働組合評議会〉(千業工業大学研究紀要・人文編14).




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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