『片山・芦田内閣期 経済復興運動資料』刊行のお知らせ 吉田健二・中北浩爾編
刊行にあたって
第二次世界大戦の終結後、日本は未曾有の経済危機に見舞われた。鉱工業生産は戦時中の酷使と戦災によって著しく低下し、都市は空襲で廃墟と化した。戦詩中の強行耕作や肥料不足などに起因する農業生産の減少は、深刻な食料危機をもたらした。そして、激しいインフレーションが国民生活を直撃した。
一九四六年秋、経済危機は頂点に達しつつあった。まず、金融緊急措置によって抑制されていたインフレーションが、一九四六年一〇月頃から再び昴進し始めた。また、戦前の水準の三八.二に回復していた鉱工業生産が、一九四六年一〇月以降低下し、一九四七年二月には三四.五にまで落ち込んだ。さらに、産別会議を中心とする労働攻勢が、一○月攻勢から『二・一スト』へと続いていった。
そのようななか、事態を打開する能力を持たない第一次吉田内閣に代わって登場したのが、社会党首班の片山内閣であった。一九四七年六月に社会党・民主党・国民協同党の中道連立政権として成立した片山内閣は、経済安定本部を中心に傾斜生産方式を強力に実施することで、経済復興を実現しようと試みた。
しかし、経済安定本部が立案する経済政策は、その実施を積極的に担う存在なくして実効的なものたり得なかった。片山内閣の経済政策の実施を積極的に担う存在、それは経済復興会議であった。経済安定本部が片山内閣の経済施策を「官」の立場から支えたとすれば、経済復興会議は「民」の立場から支えたといつてよい。
経済復興会議は、一九四七年二月、社会党系労働組合の総同盟と進歩的経済団体の経済同友会の主導により、当時の主要な労働組合と経済団体を網羅的に傘下に収めて結成された。労働組合においては、総同盟や産別会議などが参加し、経済団体においては、経済同友会のほか日本産業協議会・関東経営者協会などが加盟した。議長は、社会党政調会長で社会主義政治経済研究所長の鈴木茂三郎であった。
労使協力組織の経済復興会議に、共産党系労働組合の産別会議が参加したことは注目に値する。産別会議は、一九四六年一○月に産業榎興会議を結成し、経済榎興のための取組みを独自に展開していた。いわば国民的課題であった経済復興を、産別会議も等閑視できなったのである。
全国レヴェルだけでなく、業種・地方・企業の各レヴェルでも、経済復興運動は活発に展開された。業種別復興会議としては、全国石炭復興会議と全国鉄鋼復興会議、地方別復興会議としては、関西産業復興会議と愛知県地方経済復興会議、企業別復興会議としては全東芝経済復興会議がそれぞれの代表例である。
片山内閣に続く中道連立政権の芦田内閣の崩壊後、一九四九年春からアメリカの指示に従いドッジ・ラインが実施され、本格的な経済復興のための基礎が据えられた。しかし、ドッジ・ラインによるインフレーションの収束が可能になったのは、鉱工業生産が一九四八年末の時点で六四.四にまで回復していたからであった。このような生産の回復に、全国民的規模で行われた経済復興運動が貢献したことは間違いない。
本資料集は、法政大学大原社会問題研究所『産別会議資料』『鈴木茂三郎資料』、信州大学経済学部『高野実文書』、東京大学経済学部図書館『石川一郎文書』、大阪社会運動協会『中江平次郎文書』、ひょうご労働図書館『今津菊松資料』などを中心として、片山・芦田内閣期の経済復興運動に関する資料を集大成するものである。
経済復興会議、産業復興会議、業種別復興会議、地方別復興会議、企業別復興会議の資料のほか、社会党、総同盟、産剔会議、社会主義政治経済研究所、経済同友会などの経済復興運動に関する資料も収録される。なかでも各種の復興会議の機関紙が収められることは、特筆に値するであろう。
戦後復興期の政治・経済・労働に関する研究において、本資料集が広く活用されることを期待している。
第1回配本 | 2000年6月 | 第1巻 経済復興会議(1) 第2巻 経済復興会議(2) 第3巻 経済復興会議(3) |
第2回配本 | 2000年8月 | 第4巻 産業復興会議(1) 第5巻 産業復興会議(2)・地方別復興会 |
第3回配本 | 2000年10月 | 第6巻 業種別復興会議 第7巻 企業別復興会議 |
第4回配本 | 2000年12月 | 第8巻 労働組合(1) 第9巻 労働組合(2) |
第5回配本 | 2001年1月 | 第10巻 政党・経済団体ほか |
体裁 B5版上製
各冊平均500頁
定価 全10巻揃価(本体250,000円+税)
各巻(本体25,000円+税)
日本経済評論社
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更新日:2015年01月22日