大原社研蔵のプロレタリア文学関係文献の充実した内容について 小田切 秀雄
大原社研の蔵書のうちに、ごくわずかだがプロレタリア文学関係のものがあるので、文献としてどのていどに価値のあるものかを見てもらえぬか、という話があり、さっそく見にいったところが、明治中期から昭和一四年ごろまでにいたる人民的・革命的な文学の関係書二七〇冊ほどが埃をかぶっており、一冊一冊を見てゆくと特別に珍しいもの、またきわめてありふれたものが雑然とまじっているが、全体としてはきわめで貴重なコレクションであることがわかった。そこでさっそく、文学部の当時助教授だった小原元氏やのちに講師となった西田勝氏やに手伝ってもらって詳細な年代順の目録をつくり、それを文学部の雑誌に発表した。
このコレクションが貴重なのは第一に昭和初年のプロレタリア文学運動関係の作品・評論・翻訳の類がかなり豊富にあること、とくに、これを集めたひとがプロレタリア文学にたいして網羅的であろうとしたためか、ナップ(全日本無産者芸術団体協議会)系だけでなく、文戦系(労農芸術家連盟)の作品も多く集めていることで文戦系の山本勝治『員章を打つ』(文芸戦線叢書第一編、文芸戦線出版部、昭和四年十二月刊、B6版一四九頁、五十銭、序、前田河広一郎、内容・短編『十姉妹』『員章を打つ』他三一編)、金子洋文『天井裏の善公』(同叢書第五編、昭和五年二月刊、B6版一五四頁、五十銭)、前田河広一郎『十年間』文戦派の代表的な文芸評論感想集の一つ。大衆公論社刊昭和五年五月刊、B6版五五五頁、一円八十銭。『民衆の要求する新文学』他七七編)のようなこんにちなかなか見ることの困難なものをはじめとして平林たい子、黒島伝治、岩藤雪夫らの初期のものもよく集められている。このことは、このコレクションの第二の一層大きな特色にも関連しており、昭和初年のプロレタリア文学だけでなく、明治中期からの人民的・革命的な文学の流れに属するものが、戦前としては実によく集められていること、この点でまったく類の少ないコレクションになっていること、これが第二の特色なのである。共産主義芸術運動をめざしたナップが昭和三年からしだいにプロレタリア文学の主導勢力となり、文戦系はもとより非共産主義のさまざまな人民的・革命的文学を敵扱いするようになっていらい、昭和七年以降ナップ系が解体していってからもなおナップ的なプロレタリア文学史観が支配して敗戦後に及んでいたので、プロレタリア文学以前つまり共産主義文学以前の人民的・革命的文学は、〃プロレタリア文学前史〃という名でごく一通りとりあげられるにすぎず、木下尚江の社会主義小説以外はほとんど文学的に問題にされることがなかったがナップの眼鏡をはずせ、というわたしの主張(『思想』、二九年一一月『頽廃の根源について』)などいらい昭和初年のプロレタリア文学は日本の人民的・革命的文学の長い歴史のなかの独特な高揚期をなすもので、共産主義文学だけでなく明治いらいの進歩的文学のすべてを文学として、また文学史的に、評価すべきであることがしだいに広く認められるようになり、明治大正期(〃プロレタリア文学前史〃に属するといわれてきたもの)の人民的・革命的な文学の流れへの新たな関心・調査・検討・評価が行われはじめた。こういうときに大原の蔵書のうちのプロ文学関係書のうちに、その期のものが実によく集められていることがわかり、田岡嶺雲の『数奇伝』(自伝。玄黄社明治四五年六月刊B6版三五九頁、九〇銭、序文、三宅雪嶺・泉鏡花他一四名、挿絵、小杉未醒・小川芋銭ら)や丹潔『民衆のために』(短編集。如山堂書店大正七年五月刊、A6版三四一頁八五銭、序、吉江孤雁・中村古峡ら)平沢紫魂(計七)(労働者作家がまだ雅号を使っていたのだ)の『創作・労働問題』(小説戯曲集。海外殖民学校出版部大正八年六月刊、B6版二六五頁、一円)等をはじめとして、いまでは手にしがたい多くの小説、評論の書が見出され、わたし自身このときはじめて平沢の『創作・労働問題』などは見ることができたのであった。三一書房から竹内好・平野謙・野間宏・蔵原惟人らと『日本プロレタリア文学大系』全九巻を編んで出した時、大原社研のこれらの蔵書は底本としてずいぶん役に立ったのである。
以上のような二七〇冊ほどが研究者たちによって自由に使えるようになることをわたしは期待している。まさにそれにあたいするものが所蔵されているのである。
〔「資料室報」第九一号掲載分、再録。なおプロレタリア文学関係文献目録は、「資料室報」第九一、九三、九四号ならびに「法政大学文学部紀要」第二号、日本文学篇1、一九五六年六月に掲載されている。〕
更新日:2014年12月22日