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III 文庫 2.向坂文庫

(7) 原資料

 一般に原資料とは,チラシ,ビラ,声明書,通達,メモ,生原稿,会議録,報告書,名簿,写真,書簡などをいう。向坂文庫の場合,さらに団体の会報や月報(「講座」出版などに付されている『月報』などを含む),政党・労働組合支部のニュース,さらに一部の新聞や機関紙の号外,臨時号なども含む。現在なお整理・データ入力中であるが,そのメドもほぼ立ったので2000年度中に『向坂文庫目録・(原資料)』を刊行すべく準備中である。詳しくは同書をご覧になって頂きたい。

 向坂文庫の原資料は,Ⅰ「戦前資料」,Ⅱ「戦後資料」,Ⅲ「国労関係資料」の三つに分け,時系列で分類・整理をすすめている。Ⅲの「国労関係資料」は,本部・支部・単組のニュースや声明書などの資料が余りにも多いため,独立した扱いにした。まずⅠ「戦前資料」について紹介すると,堺利彦関係の資料,日本労農党,日本大衆党,社会大衆党,東京無産党など無産政党関係,日本農民組合,全国農民組合(主には総本部派)の資料が多い。この点,後述する鈴木文庫の鈴木茂三郎旧蔵資料と重複するものの,向坂文庫にしかない資料も多々あり,相補う形になっている。また労農芸術家連盟や左翼芸術家連盟の資料などもある。これらは当研究所にも所蔵されていないものであった。

 戦前の原資料で特筆されるのは,『社会党に関する調査』(1908年8月)である。これは1906年2月に日本で最初の社会主義政党として結成された日本社会党および役員の片山潜,堺利彦や幸徳秋水などの動静を探ったもので,堺利彦旧蔵のものである。また1920年12月結成の日本社会主義同盟の名簿もあり,これらはとくに貴重であろう。

 書簡も大量に収録されている。向坂逸郎には内外に多くの友人・同志・同僚・教え子がいた。堺利彦,山川均,荒畑寒村,さらに与謝野晶子の堺利彦宛て書簡,岩波茂雄,三木清らの書簡は,筆者自身,興味をもつ。しかし何といっても注目されるのは,ベルリンの古籍商シュトライザントから戦前に寄贈を受けたといわれるマルクスの娘や社会主義者たちの直筆の書簡であろう。書簡は全部で14通にのぼり,イェニー・マルクス,エリナ・マルクス,ラッサール,ベーベル,ベルンシュタイン,リープクネヒトなどからのものである。研究所では,これらの書簡も公開すべく準備をすすめている。

 戦後の原資料では日本社会党本部・支部資料,総評・炭労・国労などの労働組合資料,さらに向坂自身,その指導者として関係があった社会主義協会,労働大学,社会党を強化する会などの資料が断然,他を圧している。このうち日本社会党資料では,1951年10月における第2次分裂後の左派社会党全国大会関係資料と,55年10月の統一回復後における全国大会,府県本部資料などが主なものである。社会主義理論委員会,国民運動委員会など向坂が委員となった機関資料,さらに1948年11月に社会主義政党結成促進協議会として設立され,翌49年10月に社会主義労働党準備会と改称された,いわゆる「山川新党」に関する資料もある。後者については通説では,小堀甚二らが中心で,山川均や荒畑寒村は「山川新党」にあまり関係はないとされてきた。しかし,これらの資料を読むかぎり,かなりの程度関与していることがわかる。

 画像・現物資料では,無産者新聞社『無産者新聞』(1928年2月)の発刊案内などのポスターをはじめ,研究所では適当な名前がないので「現物」と呼んでいるが,三池炭鉱労組と主婦会から,1984年11月に向坂への病気見舞いとして贈呈された寄せ書きを行った布地(赤旗)などもあり,興味深い。

(吉田健二)

『大原社会問題研究所雑誌』No.494・495(2000年1・2月)、創立80周年記念号より

更新日:2014年12月22日

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