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III 文庫 2.向坂文庫

(5)逐次刊行物・和新聞

 逐次刊行物(新聞・雑誌・年鑑)に関しては『向坂文庫目録VI(逐次刊行物)』(1995年10月)が刊行されており,個々には同書を参照されたい。ちなみに収録点数は日本語のものが3393タイトル,外国語(ロシア語・中国語を含む)のものが593タイトルに及ぶ。ここでは日本語の逐次刊行物について紹介する。

 まず,機関紙ないし新聞であるが,とくに注目されるのは「大逆文庫」「堺」などの蔵書印が押されている明治・大正期の新聞であろう。1903(明治36)年10月,幸徳秋水・堺利彦らは平民社を結成し,翌11月に週刊『平民新聞』を創刊した。この週刊『平民新聞』は,日本最初の社会主義運動の機関紙で,非戦論の立場から日露戦争に反対し,このため政府の激しい弾圧を受け,1905年1月に第64号で廃刊となった。堺らはこの後,同年2月に加藤時次郎らの協力を得て週刊『直言』を発行し,『平民新聞』の後継紙として反戦・平和の論陣をはったが,これも3号で発禁となった。そして,この後同年11月に西川光二郎らが半月刊の『光』を創刊,同紙は翌1906年2月片山潜・堺らが結成した日本社会党の事実上の機関紙となっている。以上の3紙は,平民社の直系の新聞であった。

 さらに「大逆文庫」には,堺が1906年末に平民社を再興し,翌1907年1月に西川光二郎や石川三四郎らと発行した日刊『平民新聞』と,同年6月に堺と行動を共にした森近運平が大阪平民社から発行した半月刊紙『大阪平民新聞』(第11号より『日本平民新聞』と改題)もある。前者の『平民新聞』は,日本における社会主義実現のあり方について幸徳らの「直接行動論」と田添鉄二らの「議会政策論」が紙上で激しく論争したことで知られるが,『大阪平民新聞』は前者の立場を鮮明にした新聞であった。両紙とも製本されているものの,傷みがひどい。

 このうち日刊『平民新聞』の表紙裏には長方形の「大逆文庫」の朱印のほか,山川均や荒畑寒村の印も並んで押されている。なお『大阪平民新聞』の表紙には,いまにもちぎれそうな付箋が付けられていて,それには「何卒取り扱ひ方御注意願ひます」との堺のことわりと印が押されている。

 これら堺利彦旧蔵の新聞は,初期社会主義者たちが権力と闘いながらいのちがけで編集・発行し,保存してきたオリジナルな新聞で,日本社会主義の運動史上,まことに貴重な新聞である。これらの新聞は複写はできないが,見学はできるので希望者は資料係まで事前に申し出てほしい。このほか明治期の新聞としては,宮崎寅蔵(滔天)が孫文らの中国革命の事業に共鳴しその支持を旗印に創刊した『革命評論』(1906年)や,片山潜が「議会政策」派の機関紙として創刊した『社会評論』(1907年)などもある。

 大正期の新聞で注目されるのは,1914(大正3)年1月堺利彦が創刊した『へちまの花』(のち『新社会』と改題)や,同年10月大杉栄・荒畑寒村らが平民社の伝統を継承して創刊した月刊『平民新聞』である。1919年3月,岩出金次郎が荒畑の協力を得て創刊した月刊『日本労働新聞』などもある。これらも「大逆文庫」の新聞である。とくに月刊『平民新聞』は翌年3月まで6回発行されたが,第4号を除いて毎号発禁とされ,当研究所にも無いものであった。このほか労働組合関係では,印刷工組合信友会の『信友』(1916年),大杉栄・近藤憲二らの『労働運動』(第1次,1919年),全日本鉱夫総連合の『鉱山労働者』(1920年)や,生活社の『平民』(1918年),労働社の『労働者』(1921年),共産社の『労農新聞』(1923年)などがある。

 なお,『労働運動』はアナーキズム系組合の機関紙として発行され,1927年11月の第5次まで続いたが,向坂文庫には1924年1月の第4次までしか所蔵されていない。他方で,日農の『土地と自由』(1922年),難波英夫らの『ワシラノシンブン』(1924年),全国水平社の機関紙を継承した『水平新聞』(1927年)など農民運動・水平運動・消費組合運動の新聞や,『暗濤』(1922年),『太い鮮人』(同),『労働同盟』(1924年)など,在日朝鮮人団体の機関紙も収録されている。

 昭和戦前期の新聞は253タイトルに及ぶ。多くは社会運動団体の機関紙で,1925年3月政府が普選実施を表明して以降結党をみた無産政党の機関紙,例えば社会民衆党の『民衆新聞』(1926年),労働農民党の『労働農民新聞』(1927年),日本労農党の『日本労農新聞』(同)のほか,東京無産党の『無産大衆』(1930年),日本無産党の『日本無産新聞』(1937年)などもある。なお,『日本無産新聞』は当研究所にも無かったもので“幻の新聞”と呼ばれていた。『労働農民新聞』でも,1928年3月の第16号や同年12月の第26号の号外が新しく発見されている。

 昭和戦前期の新聞については,無産市民社『無産市民』(1929年),新築地劇団『月刊新築地劇団』(1936年),新聞文芸社『日本学芸新聞』(1937年)など,実に幅広く集めているものの,一部だけというのも多い。例えば,女性時代社『女性時代』第4号(1929年8月),純真社『農村と全人類』第8号(1932年1月),1935年10月に能勢克男・中井正一らが京都で発行した反ファシズム人民戦線『土曜日』第33号(1937年5月)などをあげておこう。偶然ではあるが,このうち『土曜日』の第33号は,1974年に三一書房が刊行した復刻版にも収録されていないものであった。

 戦後の新聞は,タイトル数だけで760を超す。全体の約70%である。内訳は労働組合機関紙220,社会運動団体機関紙209,政党・政派機関紙35,学生新聞107などが主なものであるが,詳しくは目録を見てほしい。

 なお,労働組合の機関紙では全国単産の中央機関紙のほとんどを収めており,とくに炭鉱協,炭連,炭労とその傘下の組合新聞が他を圧している。社会運動団体関係では,護憲,反戦,平和,救援,公害,婦人,部落会報,農民,消費組合,青年・学生,友好親善,アナーキズム,右翼,在日朝鮮人,領土返還,芸術文化などあらゆる領域のものを収録している。このうち当研究所に無かったものが78タイトルを数え,それらの中には民主人民連盟の機関紙『民主戦線』(山川均主筆)など稀覯紙も少なくない。また経済復興会議の機関紙『経済復興』も,向坂文庫の新聞を受け入れることで,バックナンバーを揃えることができた。詳しくは,拙稿「向坂文庫の戦後の和新聞」(『社会主義』第306号)を参照されたい。

(吉田健二)

『大原社会問題研究所雑誌』No.494・495(2000年1・2月)、創立80周年記念号より

更新日:2014年12月22日

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