法政大学大原社会問題研究所 オイサー・オルグ  OISR.ORG 総合案内

文字の大きさ

  • 標準
  • 拡大

背景色を変える

  • 白
  • 黒
  • 青
ホーム   >   研究所案内   >   当研究所の所蔵資料   >   所蔵図書・資料の紹介   >   ズユースミルヒ「神の秩序」初版本の復刻 有沢 広已

ズユースミルヒ「神の秩序」初版本の復刻 有沢 広已

 ヨハン・ペーター・ズユースミルヒの著書「神の秩序」の原書第一版(一七四一年刊)が、今回、わが国においてはじめて復刻された。それは大原社会問題研究所の所蔵本を写真版によって復刻したものである。「神の秩序」の初版本は稀こう本中の稀こう本で、おそらく世界中で三、四部をとゞめるにすぎないであろう。その一冊を大原社会問題研究所が所蔵しているのである。それについては私が多少関係したことがあるので、この稀こう本の復刻本を前にするとまことに感慨の深いものがある。

 昭和二年、文部省留学生としてベルリンに留学中たまたま高野岩三郎先生がこられてズユースミルヒの「神の秩序」の初版本を捜してもらいたいと頼まれた。高野先生は東大での私の恩師であり、先生いらいの統計学講座を担当することになった私はその勉強のためにドイツに来ていたのであったから、喜んでお引きうけした。むろん留学期間中にそれが見つかる成算があったわけではないが、ともかくも早速ドイツに来ていらい懇意にしていた古本屋のシュトライザンドに頼んで捜してもらうことにした。

 それから数ヶ月たった夏の終りごろ、シュトライザンドからそれらしいものが見つかったからとにかく一度見てくれと電話がかゝってきた。驚いてとんでいってみると、シュトライザンドの主人は現物をしめしながら、どうも少しおかしいという。なぜかというと、シュトライザンドが捜し出した本は、「その出生、死亡及び繁殖より証明せられたる人間種族の諸変動における神の秩序」一七四一年となっているが、ロッシャーの「ドイツ経済学史」で調べてみると、初版の刊行は一七四二年となっている。

 ところがマイツェンの「統計学の歴史、理論及び技術」では刊行年は一七四一年とあって、その点では一致するが、本の標題が「神の秩序に関する考察」となっている。そこで私もこの古本屋の書だなにならんでいる書物の中からこれと思う本をとりだして初版刊行の年についてあたってみると、一七四〇年、一七四一年、一七四二年と各説各様である。また驚いたことには初版は二冊本であると書いてあるものもある。早くヨーンの「統計学史」をみれば事情は氷解したわけだが、ヨーンの書物はシュトライザンドの書だなにもなければ、私の手元にもまだなかった。

 とうとうシュトライザンドの主人と相談してベルリソ国立図書館で鑑定してもらうことにした。国立図書館の回答は、当館では一七四一年版の一冊本をもって初版としでいるとのことであった。私はさっそくミュンヘンに滞在中の高野先生に連絡して大原社会問題研究所のために、シュトライザンドが捜しだしたこの本を買いとったのである。

 あとになってわかったことであるが、一七四一年版の初版につづいて、マイツェンの掲げる標題の本が一七四二年に出ている(この本も稀こう本であるが、大原社会問題研究所が所蔵している)。これがどうして出版されたか事情は明らかでないが、いずれにしてもこれは著者の「神の秩序」の第二版ではない。第二版は著者によって二冊本の大著として一七六一年に刊行されている。ページ数では第二版は第一版の三倍にもなっていて、内容も豊富になり、説明も精細になって、二〇年間の推敲のあとがうかがえるが、ズユースミルヒの入口統計の思想の原型は、むしろ初版において、素朴であるがかえって浮きぼり的にあらわれている。ちょうどマルサスの「人口論」の場合と同様である。

 ズユースミルヒは聖職者であったが、十七世紀後半イギリスでグラントやペッテイによって創始された政治算術の流れをくんで、十八世紀中葉にドイツ統計学史上に不朽の金字塔をうちたてた。それが彼の「神の秩序」である。彼は人口現象、すなわち人間の出生、死亡、増加において「完全にしてかつ美しい秩序」が支配していることを統計的に立証しながら、聖職者にふさわしくその秩序を神のたれたまう秩序とみた。しかしその神学のマントをとりされば、「神の秩序」は人口統計論として「最重要な業績」であり、この一書の著者として彼が「人口統計学の創始者」と評されるのも当然である。

 さきにわれわれは「神の秩序」初版の邦訳書(高野岩三郎および森戸辰男両氏訳、統計学古典選集第十三巻A昭和二十四年刊)をもつことができたが、いまやさらに世界的な稀こう本たるその原書の復刻本をもつことができるようになった。私は日本の統計学者としてそれを喜ぶとともに、また世界の統計学者からも大いに喜んでもらいたいと思うのである。

 〔「朝日新聞」昭和四二年四月一一日夕刊より転載〕

更新日:2014年12月22日

ページトップへ